ラツィオといえば、いまでは中堅クラブではありますが、2000年代初頭はセブンシスターズの1つとされており大いに発展していたクラブです。ラツィオはどのような歴史を持っているのか?簡単にまとめてみました。
ラツィオ
正式名称はソチエタ・スポルティーヴァ・ラツィオでイタリアのローマを拠点とするプロサッカーチームです。同じ拠点にあるローマとはライバル関係となり、デルビー・デッラ・カピターレと言うたーびーマッチが世界中で注目されます。通称はラツィオで、名前が長いため、略して呼ぶ方が圧倒的に多いです。
ホームスタジアム
ホームスタジアムはスタディオ・オリンピコとなり、ローマと同じ本拠地スタジアムとなります。とても巨大なスタジアムとなり、収容人数は72,698人となります。
チームカラー
チームカラーは白と青。このクラブは複合スポーツクラブとして誕生した経緯があります。スポーツの象徴的な存在であるオリンピックに因んで、オリンピック発祥の地であるギリシャ国旗に使用される2色を使っています。
サポーター
サポーターはラツィアーレと呼ばれています。

ラツィオの歴史
ラツィオは長い歴史を持っています。
1900
ラツィオが創設されたのは1900年のことです。このクラブの前身はソシエタ・ポデスティカ・ラツィオ。設立した当初はあまりめぼしいクラブとは言えずタイトルとも完全に無縁でした。しかし1958年にコッパ・イタリアを獲得。これがクラブにとっての初タイトル。さらには1973-1974シーズンにセリエA優勝を経験していますがこれ以外にはタイトルはありません。この点を見てもライバルのローマに比べると実績で大きく劣りました。
1990
平凡なクラブが変わっていったのは、1992年のこと。大手食品会社の社長セルジョ・クラニョッティが会長になると、大型補強をするようになり、上位に顔を出すようになりました。1998年にはイタリアのクラブでは初めて株式を上場し、これによって潤沢な資金を得て、大型補強を行いました。これがうまくって1998-1999にはUEFAカップウィナーズカップで優勝。1999-2000シーズンにはセリエA優勝とコッパ・イタリア優勝をして、全盛期を迎えました。
2002
しかしここからクラブは暗黒時代を迎えます。近年大型補強ばかりをしてたクラブは財政が悪化し、主力選手を放出、極度の財政難のため緊縮財政を実施していき、セリエAでは上位からは消えていき、中堅クラブと化していきます。その後はカップ戦では優勝を果たすものの、セリエA優勝はできなくなり、UEFAチャンピオンズリーグにも出なくなります。現在もセリエAの中では中堅クラブとして認識されており、UEFAヨーロッパリーグの常連になっています。
ラツィオの愛称
ラツィオの愛称はビアンコセレスティ(白と水色)、もしくはアクイロッティ(鷲の子)。ラツィオのエンブレムには鷲が描かれています。そのことから鷲の子という愛称も付いています。エンブレムの鷲はビザンツ帝国の「双頭の鷲」をモチーフに、黄金に輝く鷲が上部に配置されています。
セブンシスターズ
ラツィオはセブンシスターズとも呼ばれていました。セブンシスターズとは、ユベントス、ミラン、インテル、ラツィオ、パルマ、ローマ、フィオレンティーナを指します。新興勢力であるフィオレンティーナ、パルマ、ラツィオは、カルチョビジネスの拡大バブルに伴い、大型補強を行って優勝争いに加わった時代があり、1990年代終わりから2000年代の初頭です。ラツィオは食品メーカー大手チリオのセルジョ・クラニョッティのもとで大型補強ばかりをして急激に強くなったのです。
しかし、サッカーバブルが崩壊し、過剰な投資と放漫財政で破綻していきます。従来のビッグ3を除くクラブは経営難にあえぐこととなり、セブン・シスターズの構図は崩れました。これ以後はユベントス、ACミラン、インテルの3強時代となりました。
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